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鮎釣りと熊!

このBlogでも過去に書いたが吾輩の趣味の一つに鮎釣りがある
河川環境の悪化からか道内だけで無く、近年は自然環境で孵化した鮎で河川に遡上する俗に言う天然物の鮎が激減する中、北海道の南西部に位置する今金町を縦断する「後志利別川」は数少ない天然遡上だけの鮎河川で、7月の解禁から9月中旬にかけての解禁期間は大鮎狙いのフアンで賑わうが、この地域は北海道内でも有数の羆の生息域でもある。
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上の写真で奥の白い崖の付近が熊が滑り下りて来た場所 

今年は特に好釣り場付近への熊出没情報が多く、私の仲間間でも笑うに笑えない羆との遭遇が何回かあったが釣り仲間に死傷者が出なかっただけに、笑話としての話題で済んだが、熊の生息域に踏み込む人間が悪いのであって熊との共生は中々難しいのだろう。

そんな中から、本当に今年有った2~3の実話を紹介したいと思う。
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上の写真は熊出没の看板と被害のビート畑 及び熊捕獲用の罠

上の写真でも分るとおり、利別川上流域の大鮎の好釣り場入口付近は「熊出没注意」の看板だらけだが、短期決戦の鮎シーズンだけに看板も尻目に、ここぞと思わしき釣り場には看板を無視して入釣する。 熊が出るような場所だけに魚影も多く、釣れ出すと熊の事など忘れて釣りに没頭し仲間とも離れて、ついつい熊出没の危険地帯まで踏み込んでしまうのである。
 
釣友の一人も夢中で釣りに没頭していた時、川の向こう岸で異常な音がしたので何気なく覗いてビックリ!、3~4メートルのなだらかな崖から大きな熊が滑り降りて距離にして5~6メートルの川の深みに どぼ~ン と飛びこんだそうで、流石に度肝を抜かれ、釣り竿等も放り投げてスタコラサッサと逃げ帰えり、爆竹を焚きながら後から ほおり投げた道具を取りに行ったが熊の姿はもうなかったそうです。 

その翌日の事 詳しい場所を知らない吾輩はその場所に出掛け 思いがけない釣果に恵まれて高笑いしたが前日の釣友曰く「とある日の夕方、釣友の軽ジープ(パジエロミニ)のフエンダー等に「引っ掻き傷やへこみ」がひどいので原因を聞いてビックリ、いやはや前代未聞の珍事に皆で大笑いでしたが、釣友の話では目的の釣り場に到着、後から来る人達の為に当該マイカーを川縁の道路脇に駐車すべくスローで前進したところ、何かに乗り上げたような感覚をうけ後進しようとすると、何故が車体が持ち上がり異常な振動を受けたと言う?

「あれ地震かな?」 と思いきや、なんと1~2歳の子熊に乗り上げていたとの事(*^_^*)  いや~びっくりしたのなんの!!で バックしようとすると、熊の何とも言えない大きな悲鳴!それでも強引にバックすると熊のどっかに車の部品が絡まっていたらしく大声の悲鳴も無視し後方にバックしたところ、小熊は一回転するような感じでやっと脱出したそうで、小熊は後ろも見向かず一直線で遁走したそうです。  
その後 車を良く見ると小熊の毛と共に、熊の爪での引っ掻き傷だらけだったそうです!

地元の人の話では、小熊は日中 日陰を求めて良く茂みや物置等で昼寝をしている由、天敵が近過ぎるとに息を殺して様子を伺う習性があるとの事でしたがそれにしても、随分と頓馬で間抜けな小熊のような気がしますね
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by oss001 | 2012-12-07 18:24 | 釣り | Comments(0)

我輩の釣り馬鹿日誌(追憶)

我が輩の釣り馬鹿日誌 その7 鮎の生涯  「鮎事情と習性」
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鮎に限らず多くの魚族に共通する事だが、近年は自然産卵による自然増殖から、人口的に採卵交配させ孵化して稚魚まで育てる人口養殖が常態化して来た。鮎の世界でも人口養殖が盛んだが、釣りの対象となっている鮎は大別すると、生態的に海産鮎と人口産鮎の2タイプに分けられる。

河川にダムや堰が無かった(少なかった)昔は殆ど海産の天然鮎でスマートな体型に大きな背ビレで野性味にあふれる風貌で闘争心旺盛な天然鮎が主で、縄張り意識を利用した友釣りに適していた。
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反面人の手で採卵孵化され養殖池で有る程度まで育て河川に放流される人口産は概して大型だが、養殖池で育っただけに、放流場所からあまり移動もせず群れて行動する習性が強く、縄張り意識も平均に低い。又 ダム等の障害物を越えられず、たむろしている海産もの稚魚等を、たも等で捕獲し養殖池で一時畜養後、全国各地の漁協を通じて販売する事業も盛んで殆どの道内河川の漁協でも春先に何百キロも補助を受けながら放流している。
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昔から琵琶湖では湖を海に見立て、流入する河川で産卵後の稚魚が琵琶湖で超冬し、春先に河川に遡上するサイクルを繰り返す、俗に言う「湖産鮎」が有名で、以前は全国の河川に湖産鮎として販売されて来たが「冷水病」と言う鮎の病気が発生し、その病原菌が全国にばら撒かれて大きな問題となって以来、琵琶湖産の稚魚販売はほとんど現在では行われていない。

ところが近年、本州の大河川で、これに似た現象があちこちの大きなダム湖で起こって、本来の鮎の生態に変化が起こっている。 その弊害は別としてダムの上流域に放流した稚鮎が秋口になると成長し下流域に下がり、湖口近くの浅瀬で産卵して孵化、   ダム湖を海と見立てた稚魚達がダム湖で冬を越し、春先に上流へ遡上する現象が当たり前になりつつある。d0067704_20494117.jpg

20年ぐらい前迄、北限の鮎として鮎フアンに名を馳せた余市川も、今ではいくら稚魚を放流しても殆どが死滅し八目うなぎ共々過去物語となったが、全国津々浦々の鮎釣りの名河川でも、多くのダム建設や流域の観光施設やリゾート開発による、自然破壊が進み、このまま放置されるとごく近い将来には、美しい日本の自然が、子や孫達の代に引き継がれ無いのではと、清流を好む鮎だけに各河川の荒廃度のバロメーターたる鮎の生態保存が危惧されている。

シリーズ「我が輩の釣り馬鹿日誌」は今編で終了します。
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by oss001 | 2012-09-20 00:00 | 釣り | Comments(0)

我輩の釣り馬鹿日誌(追憶)

我が輩の釣り馬鹿日誌 その7 鮎の生涯    「誕生から成長へ その1」
全ての生物には「寿命」があり、夫々に与えられた天命に逆らう事は出来ない。
数多い魚類の中で僅か1年間を生涯とする魚を特に年魚と呼び、その代表格が『鮎』であろう。即ち生涯を一年間で終わるドラマチックな鮎の生涯を、この項では紹介しよう。
文献等で知りえた知識と私の経験上の『鮎の生涯』についての記述なので学術的な知識の御指摘に反論するものではない。
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鮎の釣法は日本全国の河川で様々な方法が用いられているが、専業の漁業者達が行う漁法と、アマチュアの釣り師達が趣味やスポーツを目的とする漁法に大別する事が出来る。
漁業者は『刺し網』『投げ網』『ガラ掛け』『やな漁』等、又観光向けの『鵜飼い』や『追い込み漁』等が代表的だが、今回はアマチュアの趣味や競技等で一般的な鮎釣り技法『友釣り』を中心に掲載する。 

鮎の生息域は沖縄から北海道の道央部、一部韓国沿岸や中国沿岸と広範囲に生息するが、日本では、栄養価も高く香魚の別称で平安時代から重宝されて来た日本古来の伝統的な食用魚である。
鮎は清涼な河川にのみ生息し、水温の下がる初秋に海岸に近い砂礫の河川で産卵孵化し、稚魚のまま降海してプランクトンを主餌に沿岸部で越冬しながら成長。地域によって水温の関係もあり多少の違いはあるが、春先の5~6月頃7~8cmに成長した稚魚は、群れを成して生まれ故郷の河川へ、増水した川を一気に上流部へと溯上を開始する。 この時期から稚魚は主食の動物性プランクトンから、川床の石に生える水苔(クロレラ)を丈夫な下顎で擦って食めながら、急速な成長を遂げつつ水の綺麗な上流へ急流に逆らいながら、河口から何十キロも遡上し、群れから離れて夫々が単独で自分のテレトリーを定め定住を開始する。

この間、自然の掟たる過激な生存競争を生き延び、目的地に到達する頃は溯上開始時の何十分の一より生き残れないと言われている。 溯上の初期は水流の弱い河川の端を隊列を成して溯上するが、この頃は他の魚達の格好の餌とされ、又 えん堤など水深が浅い場所では遡上を待ち構えていた鷺や鴨などの水鳥に狙われる。子孫継承のために命がけの溯上に成功するのは、体力に優れ、敏捷で旺盛な行動力を持ち、且つ天性の生命運の強い稚魚だけと言われ、人間社会なら超優秀な一握りのエリート集団と言える。

誰よりも早く定住に適した場所まで遡上する事は、誰よりも快適な生活圏たる自分の定住の場所を確保できる事で、これも優れた鮎の生まれ持った本能だろう。このテレトリーは一般的に大きめの石が沢山あって、常に適度の流れが有り、餌となる新鮮な水苔(クロレラ)が生え易い太陽光の届く場所を選ぶようで、鮎は自分の住家への縄張り意識が強く、自分が定めたテレトリーへ進入する。自分よりはるかに大きな外敵にも果敢に攻撃を仕掛け追い出す習性がある。この習性を利用した独特の釣法こそ、釣り師達が熱中する究極の釣り『友釣り』である。

次回は『鮎事情と習性』
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by oss001 | 2012-09-19 00:00 | 釣り | Comments(0)

我輩の釣り馬日誌(追想)

我が輩の釣り馬鹿日誌 その7 「九死の一生 その 2」

生死を分けたあの出来事から既に52年が経過し、他人事のような感覚だが、今思えば余程強運の星の下に生まれた者だと神に感謝している。
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漁船に2隻のボートが曳航され乍ら岬に差し掛かった途端、想像に絶する波しぶきを頭から被り、前方を見る事などは無理で、ひたすらボート後方の船底に這いつくばっていたが振り落とされないように必死でしがみ付いているのが精一杯で、生きた心地がしなかった。

大きな衝撃と共に一瞬ボートごと空中に浮き上がったような感覚の後、今度は谷底へ投げ出されたように叩き付けられた。右に急旋回し左側面より押し寄せた大波にひっくり返ったかと思うまもなく又右旋回し乍木の葉のように振り回され、まともに目を開ける事も出来ない。

やっとの思いで付近を見回したが、前のボートも牽引していた漁船の姿もどこにも見当たらない! 既にボートは半分以上が水没し、自分も水浸しで船底にしがみ付いていることに気がついたが、水をかき出すバケツも柄杓も無い。 死への恐怖と不安が込み上げ声の限り「助けて~!」と叫べども、辺りは数メートルの白波と海岸線の絶壁が見えるだけだった。
岬の突端付近でロープが切れてから、岸寄りを祝津方向に流されているらしく、突端ほどの突風は無いようだが、それでもボートは右や左に振り回されながら相当な速さで流されているらしかった。
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どれ位時間が経ったのか、寒さと恐怖でもう頭はパニック状態。段々思考力も薄れて行くようで、無意識にしがみ付いているのが精一杯だったが、船の汽笛に我に返って見回すと、助けの漁船が近づいて来ているのが目に入った。

危険なので漁船はボートのはるか外側を併進しながら、「迂回してすれ違う時にロープを投げる」 と言う。
漁船は遥かに前方で旋回しボートに低速で近づき、側方3~4mからすれ違い乍らロープを投げたが、風のためボートに届かず受け取れない!
失敗しても漁船は急旋回出来ないので、又はるか彼方で旋回し先回りして再び旋回し低速でボートとすれ違いながらロープを投げるが、上手くロープを受け取る事が出来ない。 同じ事を3~4回試みたがどうしてもロープを取る事が出来ず、その間にも漂流を続けオタモイ海岸も過ぎ、赤岩の絶壁はるか沖合いを相当な速さで流されて行く。
ロープを投げるのを漁船もあきらめ、ボートが沖に流されないよう、ボートの直ぐ外側を並走しながら祝津港に向かうと言う。 頑張れと声を掛けられながら旧祝津水族館の前浜まで漂着。その間延々3時間半、祝津港から助けに来た2人乗りの磯船に曳航され、口も利けない状態だったが九死に一生を得てやっと助けられた。

祝津の船頭宅で風呂に入れてもらい、パンツの果てまで全て借り物に着替え、酒を進められたが飲めないので、暖かい味噌汁をご馳走になった。 やはり若かったのだろう! 嘘見たいに疲れも回復してトラックで塩谷に送ってもらい、引き止めるのも聞かずに土産の魚を手に、二人乗りのスクーターで札幌についたのは、午後11時頃だったと記憶している。

次回予定 「鮎の生涯 」



 
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by oss001 | 2012-09-18 00:00 | 釣り | Comments(0)

我輩の釣り馬鹿日誌(随想)

我が輩の釣り馬鹿日誌 その6 「九死の一生 その 1」
「人間は生涯の内に、生死を分けるような出来事に2~3度は遭遇する運命を背負って生きている」と、有る高僧の説法を聞いた事があるが、私にもそんな経験がある。 
話は今を遡ること54年昭和32年5月に、小樽の塩谷港からカレイ釣に出掛けた時の実話である。
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(お断り:写真は本文と関係ありません)

現在四国に在住する私の釣先輩のS氏と相乗りのスクーターで、札幌を出発した午前5時頃は雲一つ無い快晴で大漁を胸に、私が運転するスクーターの後部座席にS氏が、長いつり竿を担ぎ、大きなリュックを背負った姿は正に「浦島太郎」である。 
目的地忍路の龍ヶ崎は風波が強く、釣りの出来る状況で無かったが、それでも10時頃まで粘って後、止む無くあきらめて帰途についた。 当時はラジオの天気予報も確率50%以下、頼れるのは土地勘に優れた長老達の「観天望気」の時代である。
帰途につき、塩谷漁港で貸しボートを聞いたら、午後ならOKだと言う。
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それならと早速予約し帰港したボートに乗り「沖は風が出たので前浜で釣れ!」と言う船頭の忠告もうわの空、手漕ぎボートを操って釣り場に直行、数隻のつり船が付近に散り、釣りを開始した。釣れるわ釣れるわで欲が出て漁師の忠告も忘れ大物狙いで、岬を一寸越え途端、急に風波が強まり風を避け岬の反対側に避難しながら釣りを続行した。 

間も無く漁船が近づき風が強く成ったので大至急港へ帰れ!と 大声で怒鳴るので、船内を片付け帰港についたが、岬を回ろうにも突端の風波が強く前に進むより沖に流される方が早く、流されては岬の反対側に
避難、又 挑戦しては流されるの繰り返しで、事の重大さを始めて知り、不安とあせりでパニックに陥った。

再び戻って来た漁船で2隻ずつロープで牽引し帰港することとなったが、運悪く我がボートは後回しで、この湾から動くなと厳命され次の迎えを待つ事となった。 
風の益々強くなる中、中々迎えに来ない漁船を待つこと約1時間、2隻のボートを縦にロープで繋ぎ、ボートの安定のためボートに1名ずつ残り、他の者は全員漁船に移乗することになったが、揺れる波の上でボートから大きな漁船への移乗は予想以上に困難で、ロープで体を縛り無理やり船上に引っ張り上げられる状態で、救命胴衣の無い当時では命がけの脱出だった。

後方のボートに残ることになった私は,船底に這いつくばって、漁船に曳航されながら岬を回り切る寸前で、事もあろうか、ロープが切れ、瞬く間に木の葉のように波を被り、水船となってずぶ濡れの私を乗せ、何処とも知れず流されだしたのだった。
(木船だから水没はしない)

 さて運命や如何に、 以下次号で!
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by oss001 | 2012-09-17 00:00 | 釣り | Comments(0)

我輩の釣り馬日誌(随想)

我が輩の釣り馬鹿日誌 その5 「魚されど魚」
分類学上で魚族に属する魚は数万種類にも及ぶと言う。漁法の発達もあり、深海魚を含めて近年は世界各地から魚も輸入され、調味加工後トレー詰めにされて店頭に並べられるので、見てくれが近海で捕れる魚に類似したものなどは混乱して美味しいのかさっぱり分らない。
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魚王国を誇る北海道でも、純粋の道産の魚だけで賄っている魚は、皆無の状態で、鮭やホッケ、かれい類まで加工用中心に輸入に頼っているとのこと、本籍が外国で現住所が北海道というのが常識だそうで過日、漁商を営んでいる友人が、「オイ!輸入魚の証拠に、この魚目が青いだろ」とふざけていたが、魚王国が聞いて呆れてしまった。

私も釣を始めて経験した事だが、釣り狂の我々が釣る同じ魚種の魚でも、その漁場と季節によって、全然魚の味が違う、即ち生産地と旬の味が違うと言う事がはっきり分った。
店によって随分 店頭価格に違いのあるのも、今は理解出来たが、こと魚に関しては売価だけで判断する事は間違いで、産地と旬を見極めることこそ大切であろう。
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経験上の一例だが、私は鮭は「広尾沖や白糠沖」などの太平洋岸で、十勝川水系の遡上時期の沖捕りが漁体も大きく脂ものりお奨めである  宗八カレイや、ホッケ等は白老沖など内浦湾の産卵前の固体が断然 お奨めで干した魚の網焼き等、甘みもあり病み付きになる。 

但しホッケやカレイ類のような、年に春秋2回産卵する魚類は産卵前と産卵後で味に大きな差があるので、時期と場所の吟味が絶対必須であろう。 でもすり身等用途によっては、脂の乗リ過ぎは不適で相当澱粉等を繋ぎとして入れないとボソボソで美味しくない。

一般に魚は、シシャモやニシン、助宗等に代表されるように抱卵物の雌が重宝されるが、魚その物は断然雄の方が美味と言われている。 特に写真に有るような真鱈の場合は番外編で、白子を抱いた、雄の方が雌に比し、何倍も高価で、我等釣狂は時化の多い秋口の積丹付近に情熱を傾ける。  計算をすると市販の
最高の魚を求めて食した方がはるかに経済的と承知しながら、魚の育った畑(漁場)と食べごろの旬を探し
「魚 されど魚」を求めて、追求する釣り狂どもに栄光あれ!と自画自賛する釣馬鹿の一人である。

次号予定 「九死に一生」
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by oss001 | 2012-09-16 00:00 | 釣り | Comments(0)

我輩の釣り馬鹿日誌(追想)

我が輩の釣り馬鹿日誌 その4 「桜鱒 ~2」

孵化後、河川で1~2年を一緒に過ごし10~15cmに成長した幼魚達だったが、遺伝子の悪戯か?雌になる幼魚は体側面にある小判型をした暗青色の斑点(パーマークと言う)が消え、体色が銀色に変化(「スモルト」「銀化」と言う)春先の3~5月頃、雄の「ヤマベ」と別れて海に降りて別居生活を始める。  
雄は河川に留まり「ヤマベ」と呼ばれながら河川で一生を送る事になるが、雌と別れた雄の集団、即ち「やもめ集団」から「ヤマベ」と呼ばれるようになったとの説もある通り、原則的に「ヤマベ」は雄だけ、桜鱒は雌だけである。
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さて前置きが長くなったが、桜鱒は水温や水の濁り、潮流などで遊よくする水深がまちまちで、鱒が居さえすれば釣果は、如何に早く遊よくする鱒の水深(棚)を探り当て、濁りや光線で変化する水中で鱒が好む「疑似餌」の色を見定め対応するかがポイントで、経験豊富なベテランと初心者の的確で迅速な判断の違いが釣果の差に繋がる。
釣法は独特で、600gから800g程度の細長い三角錐のバケと言う錘の上方に、間隔1m~2m程度に5~6本の毛針をセットした仕掛けを海中に下げ、竿先を上下に振ると バケが前方に走るので疑似餌を生きているように見せかけ乍ら、鱒を欺く釣法で 結構な重労働でもある。

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桜鱒は産卵のため、岸よりして河口付近で真水に馴れ体調を整える季節になると、食欲も旺盛で急激に成長する。 大きくなると背の部分が背張って板のように幅広に変形する。 こう言う特大の桜鱒は特に板鱒と称し全身にトロのように脂がのって美味で、釣り物の桜鱒で4~5kgの逸品は、価格もKg当り数千円で本州の高級料亭に引き取られるようである。

さて 河川に遡上した桜鱒を、長年「やもめ暮らし」を強いられた「ヤマベ」達は自分達より身長も体重も数十倍大きく,且つ銀色に光輝く超美人(魚)に成長した桜鱒なのに、自分達の花嫁候補者だと覚えているから神秘的である。
お帰りなさい! と一斉に桜鱒の周りに何匹、いや何十匹もまとわりついで、己の種を残そうと、桜鱒の気持ち等無視して、押し掛け婿殿になるべく命がけの格闘を演じながら、桜鱒の産卵をひたすら待つのである。

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生まれた川への回帰漁族の中で、鮭が生まれた母川へ回帰するのに対し、養殖技術の進歩と稚魚に標識をつけて放流する回遊(帰)調査などの結果から、桜鱒は母川への回帰比率は極めて低い事が分り、漁業権等の関係から養殖事業も、種々難しい問題もあるそうで、現実に私も室蘭の沖合いで、日本海側の瀬棚漁協の標識を付けた30cm程の小さな桜鱒を釣った経験がある。
はるばる江差~松前~津軽海峡と泳いで内浦湾を北進し室蘭沖まで遠泳して私に会いに来たのかと思うと、殺生すのが可哀想で「大きくなって俺のところに又戻って来いよ!」と言いながら放流した思い出がある。 

次回は「魚、されど魚」
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by oss001 | 2012-09-14 00:00 | 釣り | Comments(0)

我輩の釣り馬日誌(追想)

我が輩の釣り馬鹿日誌 その3「桜鱒 ~1」

桜鱒(サクラマス)は別名を本鱒とも言い、サケ目サケ科に属し、河川で孵化した後稚魚で1~2年を過ごし、10~15cm程度に成長すると、河川残留型のヤマベと降海型の本鱒に分れ夫々が淡水と海水での環境で成長する。
海に下がった鱒の幼魚は、比較的近海部を回遊しながら 30~70cm程まで成長して成魚となり、再び4~6月頃河口付近の水温が海水温度と同程度に上昇する頃河川に遡上をはじめ9~10月ごろ産卵する。
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4~6月頃の桜の季節に、成魚に成長して遡上する習性から「桜鱒」と呼ばれるようになったとも伝えられている。 地域によって異なるが、北海道の河川での遊魚は、鮭 鱒共保護と漁業権の関係で全面禁漁となっているが、東北方面の河川では「ライセンス料を」を支払えば、遊漁としても許可されている。

我々北海道の釣り狂には、河川に遡上するべく沿岸部に戻って来た桜鱒の釣りこそ、数多い魚種の釣りの中では人気度No1の釣技で、季節的に厳しい酷寒をも物ともせずのシーズンインと燃え立つのである。
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遊漁の範囲は、苫小牧~室蘭の地球岬~南砂原の内浦湾沿岸の太平洋側と松前~瀬棚~積丹付近の日本海沿岸と広範囲だが、釣果は2~3月の内浦湾3~5月頃の日本海沿岸が統計的に良い釣果が上がっているようだ。 

私個人は2~3月は白老港を基点とする内浦湾沿岸3月末~5月初旬は積丹半島付近が例年のパターンでそれなりの成果を収めている。鱒も年度によって、好、不良はあるが、概して釣果は年々下降気味で、河川の護岸改修やダム建設等による自然破壊や環境の荒廃が影響しているようで危惧の念を抱いている。

以下 桜鱒~2へ
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by oss001 | 2012-09-13 00:00 | 釣り | Comments(0)

我輩の釣り馬日誌(追想)

我が輩の釣り馬鹿日誌 その3

今回は厳寒期で現在シーズンたけなわの噴火湾での助宗鱈についての記載である。
助宗鱈は、産卵期で抱卵した卵胞を取るのが主目的で、雄と雌の比率、又卵の完熟度の比較など、同じ助宗でも相場の価差には大きな開きがある。 従って漁師は国で定められた漁獲割り当ての範囲で、如何に良質な助宗を確保するかこの時期が勝負の時で時化さえなければ、夜を徹して連日出漁し奮闘する。

12月の下旬から1月下旬にかけ産卵のため、助宗鱈は水深7~80mから120~150mの比較的浅場に岸よりするので、この時期我々釣り狂の出番到来と、厳寒の中を助宗釣りを始めるが、日の出前の沖合いは零下20度を下がる事もあり想像を絶する寒さだ。

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釣り狂共が出港する基地も、馴染の船長との関係で、苫小牧港~室蘭港付近の漁港と、まちまちだが沖の釣り場は大体同じ附近に集中すので、週末など釣り客の多い日は5~60隻も集結して壮観である。釣果も一寸した棚(水深)の取り方や、場所によって結構差が出るが、大体 5~60から好漁の時は200匹前後が釣れるので、特大のクーラーに収納出来ず、船上で不要な頭などを裁いて二人係りで車に積み込む事もある。

釣る内は楽しいが、さて帰宅してからが大変で、助子と白子、それに魚体は鱗を取り尾っぽは切り落とし、綺麗にお腹等を洗って4~6匹ずつ振り分けて天秤掛けに出来るように尾っぽの近くを紐で縛り、外に干すのが大仕事で翌日まで掛かる事もざらで、家族にも迷惑を掛けるし、我ながら好きだな~ と呆れてしまう!

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この大切な助子も俗に言う紅葉子に加工するのにはそれなりに経験と技術が必要で、甘すぎたら痛みやすいし、塩からいと美味しくない。又 見てくれの風体も大切で、着色が濃過ぎても、薄すぎても良くないので、経験と感での一発勝負だ。

血合い取りから、調味料を加えて塩水への付け込み(漬け込み時間が一番大切)その後ザルに切れ目を下にして整形しながら並べて水切りし涼しい室内で 凍結させないよう数日間、上下を返し乍ら乾燥して仕上げる。一般的に最近は薄塩で仕上げるので、出来上がったら冷凍保存することにしているが、自家製の紅葉子は市販品と違い最高に美味だ(自惚れかな)。
魚体は鍋用に半干せ程度にして冷凍、大半は春先まで寒干して、棒たらにし、金鎚で叩いて皮や骨などを取り除き乾き珍味として、年中重宝している。 と言っても大半は何処かの家に嫁入りして酒の肴として喜ばれているのだが(*_*)

次回は 桜鱒について! 
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by oss001 | 2012-09-12 00:00 | 釣り | Comments(0)

我輩の釣り馬鹿日誌(追想)

我が輩の釣り馬鹿日誌 その2

d0067704_2121677.jpg平成22年から始まった「釣りバカ日誌」も今回の「20ファイナル」で完結した。
これを機に「我輩の釣り馬鹿人生」も、今日まで大きな事故も無く、元気に楽しい自然との出会いに恵まれ、幸せな人生をエンジョイ出来たことに感謝している。ここいらへんで一区切りをつけ、思い出を回想しつつ、年相応の無理の無い、ゆとりのある釣行で余生を楽しむことにした。

(お断り 当時の写真が残って無く、掲載写真は記事と関係有りません)

我輩の釣り馬鹿歴は、昭和26年頃 宝塚に在住していた兄の影響で、武庫川や近隣の小河川で、鮒や鯉、鯰 すっぽん等の釣りを楽しんだのに始まり、しばらく中断後、本格的に釣りにはまったのは昭和34年頃だったかと思う。 
当時は釣具の専門店なども無く、釣針も細目のピアノ線を炭火で真っ赤に焼き、柔らかくして釣針の形に曲げて作り、再度真っ赤に熱して瞬時に冷水につける(焼き入れ)鋼のように固くした後、やすりで針先を研ぎ一本ずつ仕上げた手作りだった。 釣り糸も今様の細くて丈夫なナイロンなんて無い時代、絹糸に柿渋などを沁み混ませて防水処理したものだったが、それでも十分釣れたものだった。d0067704_219653.jpg

竿は竹で4~5メートルの一本竿、竹製で2メートルの3本繋ぎ竿なんて超高級品の憧れの釣り竿で欲しくて欲しくて堪らず、ボーナスを全額叩いてやっと買った時など嬉しくて枕元に抱いて寝た事を覚えている。勿論餌も主流は野生のミミズだったが、釣行の前日 数百匹を取って来て、小箱に入れガーゼで蓋をして部屋の隅に置いていたところ、翌朝全部が脱走して、部屋中がミミズだらけと言う、笑うに笑えない大失態もあったが、今では愉快な思い出の一つである。

当時は交通ルールも有って無いような時代、スクーターに長い一本竿を担いで二人乗りし、無免許で 札幌から小樽は愚か積丹まで走った事もあったがあの頃が懐かしい。 
忘れられない数々の思い出の中で昭和36年の春、釣り同行会で実施した大会で、夜明け方 豊平川の旧河川で釣った76センチの鯉は凄かったな~! 新聞に掲載されたので釣り人達の語り草となり、その界隈はいつ行っても釣り人で溢れ満員御礼と成った。 一緒に並んで釣りをしていた、私の釣りの師匠格の大先輩が、このままだと糸が切られると春先の冷たい川に飛び込み暴れる大鯉を上着を脱いで掬い上げてくれた代物で、胸まで水につかって命賭けで取り上げた先輩のあのファイトが今も脳裏を駆け巡る。

「釣りは行きたし、されど足腰立たずの日々!」 と記し高知から配達された年賀に、時の移ろいを涙して実感した今春だった。
    
次回は 助宗釣りについて
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by oss001 | 2012-09-11 00:00 | 釣り | Comments(0)